新年明けましておめでとうございます。
コロナ禍からのこの5年間、ほんとうに無我夢中でここまで走ってきました。コロナウイルス感染症の蔓延という異常な社会状況の中での対応に加え、代表取締役の交代、新体制での出発、店舗の移転、という大きな難関を幾つも乗り越えてきました。そして希望だった新しい店舗を高田馬場で再開することができ、おかげさまで昨年の11月で2周年を迎えることができました。
しかし既にお伝えしてありますように、経営的にはコロナ禍以前の状況には回復が進んでおらず、店部門は約7割、出演部門ではまだ約5割という大変に厳しい現状にあります。昨年10月から始めた「ともしび存続募金」は、おかげさまで2024年12末の時点で約455万円の到達となっています。本当に感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。コロナ禍での「ともしび支援募金」、新店舗での「新店舗建設募金」に続き、3度目の募金ということで迷いもあったのですが、ともしびを応援して下さる皆様に、再度支えていただくしかないと、取り組まさせて頂いています。お釣りをカンパ箱に入れてくださる方、少しだけど、と持参して下さる方などなど、皆様の「ともしびを無くさないで!」という切なる思いを日々実感し、感謝の気持ちとともに重い責任を感じています。
昨年は、歌声喫茶が誕生して70年目の年でもありました。歌声喫茶の歴史を探るにつけ、歌声喫茶にはその時代に生きる人々や社会の有り様がいろ濃く反映されていることに気付かされます。
誕生した1954年という時代は、戦後復興が進み、高度経済成長期に入ろうとする時代でした。民主主義的な思想が広まり、労働運動などの様々な民主的な運動が発展し、新しい国をつくっていく希望に溢れた自由な風潮が広がっていました。そして大都市では、集団就職で多くの青年たちが地方から集まって来ていました。家族から離れて、寂しさや孤独感を抱えた青年たちが都市に溢れていました。そんな青年たちのあいだで、地域や職場の仲間どうしで歌を歌って楽しむ「うたごえ運動」が広がっていました。このような社会状況にあって、歌声喫茶という場は生まれるべくして生まれたと言えるのではないかと思います。今のようなコミニケーションや情報発信手段が乏しい中でも、わずか3年ほどで国民的ブームと言われるほどの大流行になったのは、この時代の若者たちがまさに求めていたものだったからでしょう。
1980年代になると、1960年代に歌声喫茶で青春を過ごした歌声喫茶世代が30〜40代の働き盛りとなり、社会や経済を動かしていく中心の世代になると、カラオケなど娯楽の多様化も手伝って、しだいに歌声喫茶が忘れられていく時代に入りました。1980年代後半からはバブル景気もあり、心の豊かさから物の豊かさへと人々の関心が変わっていく中で、ともしびのお客様も激減していきました。この頃に、小岩店と立川店を閉店しました。1992年のことです。
その後1990年代後半になると、バブル景気が崩壊して長期にわたる不況の時代になっていきます。地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災などで安全神話が崩壊し、社会が不安定化していくこの時代が、歌声喫茶世代が定年退職していく時期と重なってきます。そんな時代に、バブル期には忘れていた心の豊かさを求める風潮が広がる中で、再びの歌声喫茶ブームがやってきます。2000年をピークにお店のお客様が激増し、全国各地で出前歌声の公演が開催されるようになりました。
そして現在。
コロナ禍を経て、歌声喫茶は世代交代の時代に入りました。現代は社会の変化のスピードが早く、年代によって音楽の指向や楽しみ方が随分違うのを感じます。歌声喫茶がこの先、新しい世代の支持を得ていくためにはどうしていかなければならないのか、変わらない価値を守りながらも、探りつつ形にしていける年にしていきたいと思っています。本年もどうか、ともしびを宜しくお願い致します。
株式会社ともしび 代表取締役 齊藤隆