海外ツアー

瀋陽・長春・ハルピン・大連 2009年9月8日〜14日

09年9月8日~9月14日
企画・主幹:(社)日中科学技術文化センター/協賛:(株)ともしび
後援:遼寧省外事弁公室・外事接待中心
同行:うた 加藤晴夫 アコーディオン 田口順子

 今年も、日中友好に人生をかけ全力で活動されているともしびのお客様、米山さんのお力添えで昨年に引き続き、中国うたごえの旅が20名のツアーで実現した。ともしびからは歌手の加藤晴夫、伴奏者として私が同行することになった。そしてともしびオペレッタ研究講座の武田光昭さんが急遽、お客様として参加することになり、踊りに歌に大活躍だった。
 

■9月8日
  早朝、成田を出発し3時間ほどで瀋陽へ到着。きれいな秋空が広がっているが東京よりも暑い。空港では昨年からツアーのコーディネートを引き受けて下さっている遼寧省外事弁公室の南哲氏と旅行会社の橋海麗さんが出迎えに来て下さった。早速、日本語の上手な南さんのガイドで敷地面積6万㎡という広大な故宮を見学。夜は遼寧省外事弁公室の李さんをはじめ、このツアーに協力して頂いた現地の方々の歓迎レセプション。現地の方のうたごえを聴きながら、私たちも「草原情歌」、「オーソレミオ」、美里さんの「荒城の月」、田村さんの「米節」、武田さんの「そーらん節」などで大いに盛り上がった。

■9月9日
【午前】 老幹部大学の「学生」と交流。この大学は公務員等の仕事を退職した人達が通う学校で、教室は墨絵、踊り、書、音楽等、多くの人達が趣味を高めるために芸術を学んでいる。私たちは音楽の教室へ通され、日本の歌、中国の歌を交互に歌い合った。音楽の先生が「ラ・スパニョーラ」を歌いましょうと誘って下さり、突然の事にどきりとしたが2カ国語の入り交じったその曲は、聴いている人達を魅了した。学生のみなさんは歌唱力も素晴らしく、ある女性が披露した「評劇」といわれる喉を小刻みに動かしながら歌う中国独特の歌は特に心に残った。

【午後】 北陵公園へ向かう。園内で二胡、サックス、トランペット、ドラムの演奏で踊っている人達に遭遇。南さんが彼らに「私たちはあなた方の素晴らしい音楽に引きつけられやってきた日本人ツアーのメンバーです」と声をかけ、交流を交渉。それを聞き、伴奏陣が「北国の春」を演奏し始め、私達も中国の人達と元気に歌い合い、音楽の交流が始まった。二胡を弾いていたおばあさんがアコーディオンをかついでいた私の所に小さな椅子を持ってきてくれた。「シェイシエイ」とお礼を言い、私もすっかり現地の人にとけ込みながら「馬車夫の歌」「そーらん節」「さくら」等で交流の輪が広がった。最後になぜか「ジングルベル」の演奏で踊った後、「さようなら、お元気で」とその場を後にした。次に向かったのは池のほとりで歌っている合唱グループ。こちらは10名くらいの少人数で伴奏楽器はバイオリンのみ。ファイリングした楽譜を各自持っていて、合唱を楽しんでいる様子。「カチューシャ」と「北国の春」を歌ってお別れ。夕食はここ、『餃子のふるさと』瀋陽の本場の餃子。交流会もたくさん経験したので、皆食欲も旺盛 。

■9月10日  
【午前】 9・18事変博物館を見学。ここは満州事変以降の関東軍の数々の「侵略」と「抗日戦争」の歴史を、多くの写真展示等によって残してある記念館だ。まだあどけない少年達の屍を前にして笑顔で写る関東軍の兵隊、思わず目を覆いたくなるような残酷な写真もあり、ツアー参加者の中にはハンカチで涙をぬぐう人の姿も有った。ここでは加害者側である日本人としての悲しさ、切なさ、戦争の愚かさを思い切り感じさせられたが、最後の展示室には残留孤児である日本の芸術家が送ったという「親子の像」(真ん中の小さな子どもは自分、両側で手をつないでいる大人は中国の育ての親)が未来を仰いでいる表情が希望に満ちていて、重苦しい気持ちになっていた私たちにとっては、なんともいえない心の癒しになった。9・18博物館を後にしてD21列車(ドイツ製新幹線)に乗るため駅へ移動。ここで添乗員の橋さんとお別れ。今年大学を卒業したばかりだというのに日本語が上手でかわいらしい女性の橋さんは昨晩寝ずに作ったという小さな折り鶴を参加者一人一人に手渡してくれた。残った沢山の折り鶴は、来年ともしびの仲間が行く予定である原水爆禁止世界大会に持って行ってもらうと約束した。建国60年の式典が迫っているというので、列車に乗る時も荷物検査を強いられる。空港よりも駅員がぴりぴりしているように感じた。車窓から広大なとうもろこし畑を眺めながらいざ長春へ。昼食は車内でケンタッキーフライドチキンのチキンサンドをいただいた。初めて食する中国のそれは、ピリ辛で甘くとても美味しかった。

【午後】 長春駅に到着。添乗員の長さんが私たちを迎えてくれた。長さんは会話がユニークで皆を楽しませてくれるムードメーカーだ。バスに乗り込み、休む暇なくクンシュラン公園へ。公園の入り口には町内会の方が用意してくれた歓迎の横断幕が張ってあった。私たちが入場すると二胡、サックス、笛の伴奏陣がにぎやかな演奏でむかえてくれた。音楽団長さんの歓迎のことばで交流の始まり。町内会の皆さんは次々と歌い手が入れ替わるので、まるで「のど自慢大会」のような雰囲気になってきた。オペ研の武田さんは今日も「そーらん節」で大活躍。歌と踊りが入ると開放感が広がり、いつの間にか町内会の人の輪に私たちのツアー参加者が加わり、手を取り合って踊っている。約2時間の交流を終え、ホテルへ向かう。

■9月11日  
【午前】 長春市新竹町内会の方々と交流。ここでも屋内の会場には「熱烈歓迎日本歌声の旅中日友好交流訪問団」と書かれた横断幕が張られている。伴奏は二胡、チェロ、笛等13名もいる。昨日の下町風な気さくな雰囲気と違い、今日は山の手風だ。皆さんきれいな民族衣装を身につけて次々と歌や踊りを披露。私たちも「さくら」「草原情歌」等いつものレパートリーで盛り上がる。毎日歌っているので参加者の皆さんも上達してきている。交流も中盤にはいり、ふと見ると見覚えのある人たちが数人、民族衣装をまとって踊りの上手な田村さんを先頭に皆、優雅に踊り始めた。町内会の方がご親切に衣装を着させて下さったのだ。2時間の交流が終わり、日本の踊り子の皆さんは「言葉の通じない中国でこんな経験ができたなんて信じられない。一生の思い出になる」と感激にふるえていた。 
【午後】 交流の後はおいしい中華料理を堪能。添乗員の長さんがスイカを差し入れてくれた。中国のスイカは甘くておいしい。そういえば今年の夏は、日本のスイカが不作で店頭にもあまり並ばず、私も1度しか食べていなかった。思わずスイカのおかわりをしてしまった。昼食後、映画「ラストエンペラー」の舞台となった偽満皇宮を見学。映画の舞台となっただけあって多くの見学者で賑わっていた。幼くして皇帝となった博儀の、皇帝から一国民へ戻るまでの生涯を写真や文章でたどる事ができる。館内を一回りした後は、なんとも切ない思いになった。皇宮見学後、バスの車窓から市内観光。外はいつの間にか土砂降りの雨。公園での市民交流の予定を変更し、バスは「うたごえバス」に早変わり。加藤晴夫の歌や武田さんの手遊びで、車内は楽しく盛り上がった。

■9月12日  
【午前】 朝6時にホテル近くの河川敷公園に散歩に出かける。公園にはすでに沢山の人達が集まっている。水の入ったバケツを手に持ち長い筆で地面に字を書いている人、健康遊具で身体を鍛えている人等々、本当に中国の人は健康的だ。私たちも遊具を体験させてもらった。遊び感覚で楽しく身体を動かすことができ、とても気持ちがよかった。朝食を終え、ホテルでチェックアウトする際、ロビーで「カチューシャ」「さくら」を歌わせてもらった。フロントの若いスタッフの人達も手拍子で応援。皆、口々に「フロントで歌えたなんて…」と意外な体験にびっくり。またひとつ思い出が増えた。添乗員の長さんとお別れをしてK129列車でハルピンへ向かう。列車の到着時間はかなり遅れているようだが、乗務員に聞いても「何時に着くかわからない」とかなりアバウト。

【午後】 1時40分、ハルピン到着。こちらの添乗員は誠実そうな青年のような雰囲気の史さん。昼食後、近くの川添いの公園を散策。奥の方へ行くとアコーディオン、二胡、笛の伴奏で歌っている人達がいた。私たちがしばらく様子をうかがっていると、私のアコーディオンをじっと見ていた男性が手招きで伴奏陣の席へ招いてくれた。ここへ座れと促され、「ニイハオ」と言って座らせてもらった。言葉が通じなくても挨拶ができればなんとかなると、今回の旅では実感した。席に着くとやはり「北国の春」の演奏が始まり、1時間ほどの交流を楽しんだ。ハルピン市民と交流後、ロシア料理の洒落たレストランで夕食。生演奏の休憩中に私たちも飛び入りで舞台に…加藤晴夫の歌で「カチューシャ」「モスクワ郊外の夕べ」を静かに演奏させてもらった。
  ハルピンはロシア風の建物が並び、とても美しい。夜は夜景のきれいな街へ散策に出かけた。中国の交通事情は昨年と比べ、車の量が驚くほど増えている。中国を象徴する自転車は大通りではめったに見られなくなった。大変な交通量にも関わらず、横断歩道や信号が少なすぎる。夜の街へ繰り出した私たちは、信号もなく止まってくれそうにない車ばかりが通る道路を命がけで渡った。日本人の団体がきゃーきゃー言いながら必死で道路を渡っている姿を、路上でバスを待っている人たちがにこやかな表情で眺めていた。旅の恥はかき捨て…

■9月13日  
【午前】 6時、加藤さん・小坂さん姉妹等と川の方へ散策。太極拳をやっているグループに入れてもらい身体を動かす。呼吸をしながらゆっくりと身体を動かしていくのでとても気持ちが良い。なんて健康的な旅なのだろう。ホテルへ戻る途中、朝市でサングラスを135円で購入。早起きは三文の得?
  朝食後、老幹部大学の合唱団の方々と交流。今日は日曜日なので学校が開いていないため、児童公園での交流。入り口でわずかな入場料を支払うが、日本と違い身長別で、料金が2種類に分かれている。ここでの交流は、伴奏楽器が同じアコーディオン同士。合唱団の伴奏者の演奏はとても歯切れが良くリズミカルで私にとっても良い刺激になった。武田さんの「そーらん節」も毎日踊っているので日に日に貫禄がついてきた。踊り用のはちまきも毎日柄を替えているのには、相当な意気込みが感じられる。 

 
【午後】 731部隊遺址を見学。20歳の頃、森村誠一の著書「悪魔の飽食」を読んで相当なショックを受けた。今回このツアーでこの地の見学がある事を知り、内心どきどきしていた。戦時中、細菌戦で命を落とした人は30万人といわれている。731部隊では1933年から5年間にわたり3千人の生体実験が行われた。戦争直後もこの地でペストが発生し、たくさんの人達が犠牲になったという。今、この地は731部隊の惨状を一般公開する陳列館になっている。薄暗い屋内は、ひんやりと冷たく、10年前「うたごえの旅」で訪れたリトアニアのユダヤ人強制収容所に入った時と同じ感覚が蘇った。館内には実験に使われていた手術器具や凍傷実験の装置、陶器爆弾等が展示され、当時の軍国主義の罪業が残されている。案内の若い職員が日本語で人体実験の数々を淡々と語り始めると、参加者達はとても重苦しい気分になった。見学を終え、バスに戻るとこのツアーの団長、韓さんが皆に語りかけた。「不幸な歴史については事実を知る、認める事が大切です。この悪い歴史から私たちは何を学ぶべきか。悪い事は良い事に変えていく事が大切です」この前向きな韓さんの言葉に、私たち参加者も大いに心を動かされた。
  午後6時、ハルピンから小型飛行機で大連へ。搭乗手続きをしている間、後ろの列に並んでいたロシア人の若い女性達に米山さんが挨拶を交わし、「この曲知ってる?」と鼻歌でイントロ当てクイズ?が始まる。知っている曲があるとお互いうれしいもので、「カューシャ」、「ともしび」、「モスクワ郊外の夕べ」、「カリンカ」は一緒に歌えた。すっかり友達気分になった女性達に手を振りながら飛行機へ向かう。7時30分大連に到着。大連は今まで訪れた街の中で一番美しい。近代的な高層住宅が建ち並び、道路の植木もきれいにライトアップされている。レストランで最後の夕食会。この旅で大変お世話になった南さんとも明日でお別れ。「皆様が、またいつか中国へ来られる際は、今回以上にレベルアップしたおもてなしができるようにと思っています」と、どんなことでも全力を尽くし、参加者のために力をかして下さった南さんの言葉に参加者からの盛大な拍手が沸き起こった。 
  今回の中国の旅は私にとって過去の歴史の悲しさを越えて、人と人との温かい心のふれあいを感じた有意義な旅でした。
  この場をお借りして、米山さんをはじめ、この旅でお世話になった多くの方々に深くお礼を申し上げます。

 

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