海外ツアー

ベトナム平和とうたごえ交流の旅   2005年4月26日~5月2日

ベトナム平和とうたごえ交流の旅  
2005年4月26日~5月2日 総勢29名参加
金指修平、行貝ひろみ 同行

●旅の魅力

1 ともしびから歌手2名 しゅうちゃん、ナメちゃん、が同行。

  ハノイ文化基金の全面的な協力により、ハノイ市内の小学校で「パネルシアターコンサート」を上  演し、子どもたちと交流します。

2 ベトナム平和村でも、「ともしびパネルシアター」公演に参加し、 枯葉剤被害を受けた子供達を激  励し、うたごえ交流の機会を持ちます。

3 ホーチミン市で4月30日、ベトナム戦争終結30周年の記念行事に参加し、ベトナム戦争を闘っ  た、解放軍の退役軍人の方々の祝賀交流会に参加し、懇談、交流します。

4 世界遺産の景勝地ハロン湾を訪ね、奇岩の風景を楽しむクルージングと海鮮料理を味わいます。

5 バルト三国、イタリア、中国に続いての企画。

  バスの移動中も「うたごえ」に溢れた交流の旅です。

●訪問先のご紹介

ホーチミン市

ベトナム最大の都市ホーチミン市(旧サイゴン)は、フランス統治時代の面影を残した街並みと、南国情緒溢れた独特の雰囲気につつまれています。ベトナムの経済発展の中心として、熱気に満ちています。郊外には、かつて解放戦線の拠点であったクチの三角地帯があります。

ハノイ

ベトナムの政治、文化の中心都市。濃い緑と多くの湖に囲まれた首都ハノイは、街中の庶民の暮らし、伝統工芸や芸能などの中にも、幾千年にわたる抵抗の歴史を感じさせてくれます。

近郊のベトナム平和村では、枯葉剤被害を受けた子供たちが、リハビリを受けながら過しています。

ハロン湾

ハノイから東へ約150km。湾内に浮かび上がる奇岩が織り成す見事な景観は、「海の桂林」とも賞され、世界自然遺産にも登録されています。湾内は多くの船が行き交い、海鮮料理を取りながらクルージングが楽しめます。朝夕の眺めは、まるで水墨画の様な見事な風景です。

2005年4月30日

ベトナム解放30周年をホーチミン市で!    旅行日程表
月 日(曜)

都 市 摘  要
4月26日(火)

成田空港発
ベトナム航空で首都ハノイへ

*所要時間:約6時間30分

着後、ホテルへ ハノイ泊

4月27日(水)

ハノイ
午前:市内見学

*ホーチミン廟 ホーチミンの家 *革命博物館

午後:ハノイ文化基金の協力で小学校パネルシアターコンサート ハノイ泊

4月28日(木)

ハノイ
午後:「平和村」に枯れ葉剤を受けた子ども達を訪問

「ともしびパネルシアター」の公演と交流

午後:世界遺産の景勝地、ハロン湾へ  ハロン湾泊

4月29日(金)

ハロン湾

ホーチミン市

午前:ハロン湾クルーズ(クルージングと洞窟見学)

船内で海鮮料理の昼食

午後:再びハノイへ

夕方:ベトナム航空の国内線で、ホーチミン市へ

               ホーチミン市泊

4月30日(土)

ホーチミン市
午前:ベトナム戦争終結30周年記念行事に参加(予定)

午後:戦争証跡博物館で中村梧郎氏の解説と展示見学

夕方:ベトナム退役軍人の階を訪問、祝賀交流会

              ホーチミン市泊

5月1日(日)

ホーチミン市

クチの三角地帯

午前:ベトナム戦争当時の解放戦線の拠点・クチの三角地帯へ

午後:ホーチミン市市内見学=統一会堂、ベンタイン市場

夜:打ち上げ交流夕食会後、帰国の途へ                  機中泊

5月2日(月)

成田空港着  

宿泊ホテル

●ハノイ ソフィテルプラザ ●ハロン湾 サイゴンハロン ●ホーチミン市 ニューワールド

利用航空会社 ベトナム航空

企画・うたごえの店「ともしび」・ともしび音楽企画 

旅行主催 : 株式会社 富士国際旅行社

 ベトナム政府観光局ホームページ

ベトナムツアー日誌  高柴秀樹

4月26日(火)
8:30成田空港第二ターミナルDに遅刻者なしで集合。僕が一番遅かったみたい。すぐに搭乗手続きを行い、9:00から、富士国際旅行社の小野寺さんの司会により、ともしびのあいさつ、メンバー紹介、ツアー説明会を行い、ベトナムの国民がよく歌ってるという「大勝利の日にホーおじさんがいるようだ」(ホーおじさんの歌)を練習。出だしが難しいが、後半はハモれる。2回3回と歌っていくうちに大きな歌声の輪になる。
国際線は4月よりライターも機内に持ち込めないとのこと。全部没収されるというので小野寺さんに預け、たばこを一本も吸うことなく搭乗。添乗員は今年イタリアツアーでお世話になった出嶋さん。慣れた手つきできびきびと指示する。10時30分には全員搭乗終わる。11:00の定刻通りベトナム航空955便で、ハノイに向かう。航空機はボーイング767。やはり社会主義の会社なのか、設備、接待はあまりよくない。接待向上のためのアンケートが配られたが、僕の採点は7段階評価の3。ポーチを整理していると、ライターが一個入っていた。セキュリティは甘い。
約6時間のフライトで、べトナム時間14;40定刻でハノイ空港に到着。空港は、日本の地方空港みたいに小さい。ボーディングブリッジがなく飛行機からタラップで降りるとむーっとした熱気。30度はあるようだ。入国手続きをして、バスでホテルメリアに向かう。
現地通訳は、ヒエンさん。移動中ベトナムの歴史や、ハノイの現状を説明。約40分でホテルへ到着。途中、噂を聞いていたが、バイクが多い。バスの周りはバイクだらけ。ぶつからないのが不思議なくらい。
ホテルはセキュリティが厳しい。いったん外に出ると、その都度セキュリティチェックの関門がある。18:00に夕食のため、レストランに向かう。レストランにはバスで移動。市内のどこにあるのか皆目見当がつかない。40人ぐらいのレストランで、ベトナム料理を堪能。食事の途中から、自己紹介。全国各地から集まった参加者の思いを話される。人数が多いので、明日からは、バッジに名前を書くことに。レストランを出ると、バスの前で、ベトナムの帽子やベトナム軍の帽子を持ち、千円と物売りがしつこく話しかける。ツアーメンバーの一人が値切って1ドルで購入。

ホテルに戻ってもまだ20:00。近くの露天を探索。6人でやっと見つけたところで生ビールで乾杯。修平が周りの食べ物をみて、安全そうな食べ物、ポテト、品物がきて分かった蛙の唐揚げ、ナッツを注文。1時間ほど交流。料金は全部で170,000ドン。日本円で1500円ぐらい。6人分でこの料金、みんな驚き。そのあと近くの店で、筆談でミネラルウオーター1リットル10,000ドン、ビール11,000ドンで購入。ちょっと高かったかな。

4月27日(水)
8:30ホテルを出発。ホーチミン廟のあるバアーディン広場へ、ホテルからバスで約15分ぐらいで到着。会場は厳重に管理されている。見学者は、外国人を始め500m位の列。地元と思われる子どもたちも多く参列している。国旗を先頭にして整然とした隊列を組む小学生らしい子どもたちや、幼稚園児、高校生など次から次へと現れる。
チェックも厳しく、カメラ、携帯電話持ち込み禁止。広場前の監視小屋でチェックされる。参列者は子どもが優先。我々の列は、どんどんふくらんでいくが、子どもの列がくると待たされる。30分以上も待ってやっと入館。2列に並ばされ、会話も出来ないような状態で厳粛にホーチミンに近づく。3分ほど中を回ると4人の兵隊に守られた、ホーチミンの遺体がガラスケースの中に納められていた。ライトアップされた遺体はまだ生きているかのように思えるほど。

見学後バーデン広場でホーチミン廟をバックにして記念撮影。その後、ホーチミンの執務室等を見学、偉大な指導者の建物とは思えない質素なものでした。その後一柱寺を見学、おみやげ屋でベトナムのCDを買う。5ドルを3ドルに値切る。ホーチミンバッジもあり記念に3個1ドルというのを4個にさせた。またバスに乗り戦争歴史館を見学、ベトナムの歴史は、海外からの侵略の歴史。太平洋戦争時に日本軍もベトナム人民を虐めている。

昼食レストランに向かう。昼食後我々は、ハノイ文化基金のブ・フォンさんとニャックさんをはじめ職員の方々のご尽力により公演が実現した、ハノイのニュエン・トゥルン・トゥルック初級学校(小学校)にタクシーで向かう。ツアーメンバーはホテルに戻り休憩。

学校に着くと、舞台準備最中で、ステージバックに大きな看板をつり下げ、音響も専門スタッフ3人が仕込み中でした。若い女性の通訳のフォーンさんが待っており、まもなく、文化基金の職員ニャックさんが到着。校長先生と、コンサートの進行打ち合わせ。

学校は、大勢の子どもの歌、先生の歓迎の歌を準備しているとのことで、その後に、パネルシアターを上演すると決めこちらも準備にかかる。会場も我々ツアーメンバーの席が来賓席のように下手につくられ、ツアーメンバーが到着するとお茶のサービスもある。事前の打ち合わせでは、560名の子どもたちを対象に、間口3m高さ8メートルの舞台、しかも野外という条件を聞いており心配していたが、木陰のあるこじんまりとした会場で、風でパネルの絵が飛ぶのではないかと心配だったが、3:30より開始。

校長先生のあいさつ、越日友好協会専務理事ホアン・バン・ニャンさんのあいさつの後子どもたちと先生の歓迎の歌と踊りの後、パネルシアター。

ナメちゃんと修平のコンビで通訳を交えての公演。ベトナム語であいさつし、日本語で「手と手と手を」を歌う。最後にツアー参加者がステージに上がり、「ホーおじさん・・」を歌うと、子どもたちも一緒にうたい大きなうたごえの輪ができた。子どもたちの反応もよく、風にパネルを飛ばされることもなく無事終了することができた。

ハノイ文化基金のブ・フォンさんに感謝の言葉をかけ、お礼にともしびのCDセットと、パンフレットを渡す。
終了後、全員でおみやげ店に。女性陣は、アオザイを買い、明日の朝ホテルに届くという。一着100ドルらしい。昨日、水上人形劇を見た渡辺さんグループの話を聞き、水上人形劇を観ようと言うことになり、夕食後、ほとんどの人が参加を希望し、5ドルでバス送迎付きで劇場に向かう。進行内容はよくわからないが、人形操作、生演奏のおもしろさが十分伝わる作品だった。

4月28日(木)
8:30にホテルを出発。ハノイ・タインスアン平和村に向かう。バスの中で、平和村への募金のお願いをし、ドン、円、ドルをあわせて3万円ほどの協力があった。子どもたちのプレゼントをまとめ公演後に渡すことにした。30分ほどで到着、すぐ公演会場に案内される。50人が入るといっぱいの部屋、扇風機が回っているが蒸し暑い。すぐにセットアップ。子どもたち50人ぐらいと、ツアー参加者25人のメンバー、先生方でいっぱい。昨日の経験を生かし、パネルシアターは、変化のあるメニューに変えて上演。体の不自由な子どもも目を輝かせて見、ゲームは体いっぱいに表現していた。昨日同様、最後にツアーメンバーもステージに上がり一緒にホーおじさんをうたう。

公演後、施設の見学、校長先生との懇談。懇談は、枯れ葉剤に苦しむ子どもたちの現状や、国や各国の支援状況、戦争の問題など多方面にわたり懇談した。ベトナム国家の財政も弱くもっと支援の輪を強くしなければと思う。

子どもたちへ日本のおみやげをバスの中でまとめたが、直接子どもたちに渡せなかった。いろいろな思いを込めて準備していただいた参加者のみなさんに申し訳ない思いをした。

交流後、バイキング形式のベトナム料理のレストランでとる。今まではフルコースのような食事でお任せだったので、何を食べるか少しとまどう。このときに、寺谷から、昨日の小学校の通訳料が払われていないと、ハノイ文化基金のニャックさんからのメールが入ったとの携帯電話に連絡が入る。通訳料はともしび持ちでお願いしていたことのこと、うっかりしていた。すぐに、添乗員の方に連絡をお願いし、ハノイ在住中に処理することにする。

食事後は、ハロン湾に移動、バスで約4時間の旅。ベトナムの交通は、バイクが支流。信号はあるが歩行者の青信号は、約5秒程度で赤になる。ほとんど信号がなく、警笛を鳴らしての運転。うるさいやらおっかないやら、ハノイの人たちが事故に遭わないのが不思議なくらい。 ハロン湾に向かうときも、前を見ているとドキドキ、ハラハラ。あまり前を見ないようにする。

バスの中では、できるだけベトナムを堪能しようと、ガイドのお話を聞き、うたごえは少々抑えていた。我慢できずに、二人の男性が歌集を持ち出し歌いあう。でも20分ぐらいで終わりガイドの話しが続く。途中でトイレ休憩。障害者施設の人たちが刺繍などを作っている大きなおみやげ屋。夕方にハロン湾のホテルハロンプラザに到着。

夕食に合わせて歌声を計画。ホテルのレストランは、他にあまりお客さんが居ないので自由にやって良いとのこと6:30から夕食、夕食が一段落したところで、うたごえを開始。私の誕生日だと言うことで、ハッピバースデーの歌から始まった。誰が準備したのかプレゼントももらい、ビックリするものの皆さんに感謝。まわりの外国人を意識しながら、その国の歌を交えて歌っていると途中から笛の音が、ホテルの従業員か、私たちのうたごえに上手く伴奏を合わせている。笛の奏者と一緒になって最後は、ウエイトレスの人たちも巻き込んで、ホーおじさんの歌でしめる。その後、ロビーで歌声に参加した二人が一弦琴と竹笛で日本の歌などを私達に披露。30分ほど堪能する。

4月29日(金)
8:30に荷物を持ってホテルを出てハロン湾クルーズに向かう。干潮のため、桟橋と船との差が大きく乗船するのに大変。ハロン湾はユネスコ世界遺産に登録されている景勝地。海から突きだした奇岩が3000、幻想的な風景。

30分ほどデッキなどで風景を見る。気温はかなり暑いが風があり比較的気持ちがよい。途中、水上生活の船を見たりしながら島に上陸、鍾乳洞を見学。最近発見されたところらしいがかなり広い。

再び船に戻り昼食が始まる。エビ、カニをはじめ海鮮料理を堪能。うたごえもやり、もう景色どころではない。12時すぎに桟橋に戻るとほかの船でいっぱい。強引に割り込むが桟橋に着かず、ほかの船を経由して上陸。露天でベトナムの焼酎を買う。5ドルといっていたが3ドルに値切る。バスに乗りハノイ空港へ。
旅行3日目で、さすがみんなグッタリとしている。休憩のため往路と同じおみやげ屋に寄り、再びバスで空港へ。バスの中で、明日ホーチミンで計画されている退役軍人の交流会で、ベトナムの歌手、ビーグ・フォンさんも参加の予定とのことで、「ねがい」のうたを練習する。途中通訳のヒエンさんから、周りの景色の説明もあり、退屈せずにハノイ空港に4時30分に到着。搭乗手続きをそれぞれが行い、ヒエンさんとの別れを告げそれぞれが待合室に。最後に修平が搭乗券を渡すと、パスポートの名前と違うとのことで搭乗拒否される。ヒエンさんがすぐに、カウンターに戻り交渉。待つこと15分ぐらいか、カウンターのタイプミスと言うことで無事待合室に。ヒエンさん本当にお疲れ様でした。

時間があるので売店カウンターでインスタントのフォンを食べる。18:00出発だが、17:30になっても飛行機はこない、掲示版がいつの間にか18:20に変更されている。アナウンスもないので、出嶋さんが係に問い合わせるが情報がないとのことでいつになるかわからない。東京は8時頃。この合間を使ってともしび新宿店に電話をする。アコ合奏のコンサートの打ち上げも兼ねているのか電話から熱気が伝わってくる。

19:00に搭乗が始まり、19:15頃出発。5分もすると、飛行機の外は真っ暗。機内アナウンスは、ベトナム語と、かなり訛りの強い英語。あまりよくわからない。すぐに機内食が配られる。国際線とほぼ同じ内容の物が出てくる。ビールもただ、お変わり自由、日本の飛行機とは大違いでびっくり。ただ食事はいまいち。2時間のフライト、21時過ぎにホーチミンタンソンニャット空港に到着。通訳のハンさんが迎えに来ている。観光バスではなく、なぜかベンツの乗り合いバス。みんなの荷物がサイドの荷物入れに入りきらず客席に運び込む。空港から30分も走るとホーチミン市内に、30日の前夜祭なのだろうか。花火が上がり、バイクの群衆がすごい。ホテルの近くに行くと道路中にバイクの群れで前へ進めない。仕方なく近くで下車したが、歩道にもバイクの群れが走ってくる。やっとの思いで10時頃ニューワールドホテルサイゴンに到着。明日は解放30周年式典、朝が早いのでハロン湾で買った焼酎を飲んで寝ようと思い、ストレートで飲むとカカオの味がするが度がきつい(41度)ので水割りにするとまずく残して寝る。

4月30日(土)
解放30周年式典参加のために4:45モーニングコール。外はまだ薄暗い。5:20にロビー集合。朝食の弁当(パン、モンキーバナナ、りんご、ミネラルウオーター等が入った紙製のバスケット)をもらい、富士国際旅行社の別ツアーのメンバーと合流し、約100名の軍団を組み会場へ向けて歩く。が、会場へ行く道はどこも警察官がブロックしている。添乗員から、会場に入るのは無理とのことで、10:30まで自由行動となる。一部の人はホテルに戻って式典をテレビの実況中継で鑑賞。

我々は、市内探索に、ベンタイン市場、オペラ劇場でコーヒーなどを飲み、もう一度式典会場の近くで式典行進を遠くから眺め9:00過ぎにホテルへ戻る。猛烈に多いバイクが通るところを横断する。横断歩道でなくてもゆっくり、止まらずに渡ればバイクは避けて走ると教わるが、かなりの勇気がいる。でもこれを突破しないと横断できないから必死で渡るがバイクとはぶつからなかった。

10:45にホテルから戦争証跡博物館へバスで移動。会場には写真家の中村悟郎さんの解説で、ベトナム戦争と枯れ葉剤に犯された写真を見学、その後、館長さんの案内で写真や当時の武器などの展示の説明を聞く。頭が二つある胎児のホルマリン漬けもあり、アメリカ軍の卑劣な行為を嫌というほど見せつけられる。そのあと、戦争当時解放軍であった52才の女性の方のお話を聞く。アメリカ軍に拷問され左手首は骨を折られぶらぶらになっている。身体も枯れ葉剤を浴び癌に犯されているとのこと。当時はサイゴンからハノイまで自転車で移動したとのこと。70年前後に僕も高校生、大学時代にベトナム戦争反対と行動してきたつもりだったが、私とほぼ同年配の女性が、当時身を挺して戦ってきたことに大きなショックを覚えた。彼女と参加者は平和とこれからの健康をねがい一緒に記念撮影。

その後、アメリカ軍の捕虜収容所の展示を見る。本物のギロチン等々、記念に写真を撮ろうという気がなくなった。月並みだが、戦争は絶対やってはいけない。暗い思いで、バスに戻り13:00頃昼食レストランへ。食欲が出ないと思っていたが、不思議にも又食べてしまう。ベトナムの食事は本当に合う。

食事後はホテルに戻り、朝が早かったので休憩・自由行動。昼間は暑いので(38度)さすがにベトナム人も外にはいない。私は一人で、ホテル近くのベンタイン市場へ、早朝行ったときは、あまり店が開いていなかったがすべて開店している。食品、衣料品、工芸などブロックに分かれている。日本語が書いてあるTシャツを着ていたのがまずい。みんな日本語で話しかけてくる。と言っても品物をかざし、1ドル、千円というだけなのだが。いろいろ物色し、刺繍入りのTシャツ、孫と子ども用に8枚、電卓を持ち値切りに値切って160,000ドン。奥さんに頼まれた指輪、ヒスイ(だと思うが)80ドルと言ってた物を又値切って350,000ドンで手を打った。日本で買ったことがないので安いのかどうか分からない。言い値はあるが、買わないと言うといくらなら買うかと言われ、半分ぐらいから交渉する。本当の値段はいくらなのか。市場も冷房が無くあせびっしょり。ホテルに戻りシャワーを浴び、部屋で休憩。修平はなぜか、スペインのフラメンコのテレビを見ている。ホテルのテレビは、NHKの衛星も見られるが、主要各国のテレビのチャンネルもある。衛星放送の技術の向上は目を見張るものがある。
夜、ベトナム退役軍人の会訪問。早朝と同じく、富士国際3ツアー合同の企画。

冷房のある会場と思っていたら、古い公民館のような会場。大変熱い。ステージには、ホーおじさんの銅像が下手にある。バックに歓迎の看板がある。会場には、10ぐらいの丸テーブルがセットされ、それぞれツアーごとに退役軍人の方と交流が出来るようになっている。ともしびのグループはなぜか、ステージ前を占領。

私は各ツアーグループの代表の席に拉致される。隣は、中村悟郎さん。ともしびはまだあったんですねー。と言われ、ともしびのことをいろいろ説明。会が始まり、軍人の会長挨拶、友好協会事務局長の挨拶、それに、長野から参加された代表の挨拶、中村悟郎さんも挨拶。通訳入りだから式典が長い。挨拶前にビールをグラスにつぎ暖かくなっている。私が乾杯の音頭を取れと言われ、言いたいことを言わずすぐベトナム語でカンチェン(乾杯)を告げる。その後、歓迎のうたが延々と続く。そしてやっと各テーブルで懇談。

10分ぐらいたったと思うが、「ホーおじさん」のうたごえが始まる。我々のテーブルの話がほとんど聞こえない。ともしびのメンバーが先導したかと、ふと思い行貝に聞いてみるとベトナムの人たちが興奮して歌っているとのこと。富士国際の司会者は懇談が出来ず困惑しているがどうにもならない。予定の時間になって、金指、行貝で歌声に入る。「手と手と手と」をはじめ、ベトナム人も参加できるうたを続け、会場は一体に。終わりに近づいたところにベトナムの有名歌手ビーグ・フォンさんが到着。名前しか知らなかったったが、若い美しい女性でした。4月、上野で開かれた春の大歌声喫茶で若手が頑張った「ねがい」プロジェクトの企画で、ベトナムの歌手も「ねがい」を登録しているのをインターネットで知り、密かにジョイントコンサートが出来ないものかと思っていたが、曲の打合せをすると、最初に「ねがい」を歌うという。彼女のもってきたカラオケにあわせて、ツアーメンバーもステージに上がり、ジョイントコンサートが実現する。終了予定時間を大幅に超え、みんな満足感で22:00頃ホテルへ。

修平、ナメちゃんも興奮状態。外に出て打ち上げをと言うことになり、ホテル近くの屋台でビールで乾杯。そのビールがぬるいこと。冷たいビールを注文しても無いようで氷を入れるというので断り、早々引き上げる。が、まだ飲み足りない。近くの店を探し、詰めたい缶ビールを買いホテルの部屋で飲み直し。

5月1日(日)
午前中、クチトンネル見学の予定だったが、世界の要人が統一会堂に来ると入場制限されるおそれがあるので、先に見学することになりホテルから昨日行けなかった式典会場の近くをバスで回りサイゴン無血陥落の地へ向かった。南ベトナム政府が使っていた贅沢な建物の中に、戦争中の展示もいっぱい。解放の突破になった戦車2輌、南ベトナム政権が逃亡したヘリコプターなどもある。ショックだったのは、食堂施設などはほとんど日本製品。ベトナム戦争で日本の大企業が大もうけしている。

クチトンネルへ移動。現地通訳の説明がハノイのヒエンさんから比べると格段に少ない。日本語もまだ堪能ではない。

ホーチミン市から北にバスで向かう。やはりバイクが多い。家族4人乗りもOKとか。市内は、バスの後ろはバイクでいっぱい。途中、昼食。ハロン湾で買ったベトナム焼酎を、出嶋さんの配慮でレストランからおちょこを借り、ストレートでツアーのみなさんに強引に勧めボトルが空に。41度の焼酎はやはりきつそうだ。1時間ほど移動。ベトナムの古い民家などを眺めるがどこもベトナム国旗が掲揚されている。

しばらくして、クチトンネルに到着。小部屋に案内され、ベトナム戦争のビデオ(日本語版)を見る。やはり冷房がないので居眠りの人も何人かいる。そしてクチトンネル現場へ。解放軍と思われる衣装を着た人が案内。最初にトンネルの入口を捜すように言われ、みんなで探す。その入り口は50センチ×30センチ程度のもので、ベトナム人がやっと入れるような大きさ。アメリカ兵はもちろん太った日本人も入れない。アメリカ兵を拘束するために仕掛け穴(足を踏み入れると下に落ち、串刺しになる仕掛け)などがあり、戦争は仕掛ける側も守る側も人殺しをするという残虐な行為、戦争はどんなことがあってもやってはいけないと改めて思う。戦争仕掛け人に対して、それを阻む大きな勢力をつくっていかねばならない。そんな思いで、クチを後にした。

夕方ホーチミン市に戻る、おみやげ店で買い物、ハロン湾で買った同じ焼酎のハーフボトルが5ドルで売っている。噂に聞いていた万能薬タイガーバーがあったので値切るのを忘れて4ドルで購入。ひきつづきベンタイン市場へ、バスを降りると子どもたちが1ダラーと叫び扇子を売ろうと必死。振り払ってみんなで市場へ、約1時間の買い物。これまでの経験を生かし、みんなの買い物の値切りを教える。大人のTシャツ4枚で1,000円で買った人も。それぞれおみやげを買い占め、時間があるのでマッサージの店に行く。希望者はマッサージを、そのほかの人は町の探索。ともしびメンバーは町の探索へ。オペラ劇場の近くに行くと子どもたちが花束をもって1ダラーとしつこくまつわりつく。断っても断ってもついてくる。子どもたちと、1ダラー、ノー、の繰り返しが延々と続く。1時間ほど探索し、マッサージ店で合流、マッサージした人たちは満足そう。

19:00過ぎに最後の夕食、華僑の経営する店のようだ。生演奏の中でそれぞれ最後の交流をする。約1時間の食事を終え、空港へ。すぐに搭乗手続き、ツアー客のひとりがクチで買ったおみやげのライフルの弾で作ったライターが、セキュリティで引っかかり、出嶋さんが対応。無事通過。

ここで関西空港組と別れるので、解散式。ともしびから無事事故もなく終えたことに感謝の意と、事後交流会の計画を話し、周りの迷惑にならないよう「ホーおじさん」のうたを小さな声で歌い終了。23:40に定刻通り1週間お世話になったベトナムを離れる。

機内は、富士国際ツアーのメンバがいっぱい。離陸後すぐに飲み物のサービスが始まり、眠いがビールをもらう。座席に余裕があったので、席を移動し3席を独占し眠りにつくがなかなか眠れない。ウトウトしている内に機内が明るくなり、朝食。時計を見ると日本時間2日5時。外は朝焼けの始まり。アメリカに行ったときのような時差ぼけではないが猛烈に眠い。7:30定刻通り成田に到着。出国手続き後出嶋さんとツアーメンバーの荷物を確認し帰宅、東京観光、孫に会う人それぞれ分かれる。
1週間一部不手際もあったと思うがツアー参加者のみなさんの暖かい配慮に感謝。添乗員の出嶋さんには本当にお世話になり感謝。一般参加のナメちゃんの旦那に感謝。さすがプロの裏方スタッフ。目立たないが要所要所をきちんとサポートしてくれた。
眠いが、10時に自宅に戻り、シャワーを浴びて事務所に行き無事帰国を報告。

たまったメールを開けると、関西空港組も無事帰国したとのメールが入っている。みんなを思いやる心、本当にありがたい。

ツアー参加のみなさん本当にありがとうございました。
ハノイ文化基金との交渉窓口になり出発前はメール、電話での連絡に協力してくれたともしび国際部?のテラさんにも感謝。

もちろん、この企画の旅行手配をしていただいた富士国際旅行社の高野さん、小野寺さんに感謝。
日本は戦後60周年、ベトナム全土解放30周年のこのときにこのツアーを企画したことは、これからの国際平和について、戦争のない地球をつくっていく上でこれからの人生をどう生きるのか考えさせられた。

みなさんもぜひ一度ベトナムへ!

 

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