明けましておめでとうございます。青年ブロック兼ぱれっとの竹下 諒です。
団内ブログでコラムを始めることにしました。
歌声喫茶、昭和の歌、音楽の理論や技術・・・ともしびでの活動に紐づけて、思ったことや感じたことを綴っていくつもりです。
初回は、僕がいくつかのコミュニティで活動するうえでたびたび悩みの種となる「原体験」について考えてみました。
自分の力量や経験値において、少しでもコンプレックスを感じる方の励みになれば嬉しいです。
みなさんに、原体験はありますか?
原体験を辞書で調べると「その人の生き方や考え方に大きな影響を与えるに至った特異な体験」とありました。
これは「ともしびに関わるに至った、自分にとっての大きな出来事」と置き換えても良いかもしれません。
僕は関わってきた様々なコミュニティで、原体験がないことがコンプレックスでした。弱みだとも思っていました。いや、なんなら今でも・・・
就活が終わり、NPOでインターンをするようになってからは、より原体験を強く持つ人との出会いも増えていきます。
例えば、家庭が貧乏だったとか、相対的に恵まれない生活を送っていたとか。
でも逆境に向き合った人は、苦しみをバネにして、社会課題に関心を持ったり、凄まじい原動力で活動に熱中していきます。
波紋を呼びそうで怖いのでここだけの話ですが、そんな原体験を持つ人に少し羨ましさすら、覚えていました。
不自由ない生活を送っているのなら、それに越したことないじゃないか。
そんな声も聞こえてきそうです。まさに仰る通り。
仮に自分が、その壮絶な原体験を経験する立場であったとするならば、果たして耐えられなかったと思います。
すなわちそれは、何も自分が大変な目にあいたいわけではないということです。
かつての行動を振り返ると、僕は事を始めるにあたって、衝動的に、もしくはなんとなく始めたことが多い。
だから自分の怠惰で踏ん張りがきかないときの言い訳を「原体験の乏しさ」に押し付けているのかもしれません。
ある動画を見て、ハッとしました。
GOという株式会社を束ねる三浦崇宏さんというクリエイティブディレクターのインタビューです。
まさに原体験について語られていたのです。
動画で話していたことを記載しておきますね。少し長いですがご容赦願います。
◆株式会社GO 三浦崇宏さんの言葉
「原体験は無くて良い。必要ない。裕福であっても、満員電車に不満を抱き、AIによるテクノロジーを開発する可能性だってある。
日常の何かを原体験だと発見できる欲望の方が大事。
原体験をみんなが欲しがるのは、諦めたいからだ。
あの人は原体験があったから成功したとか、自分はないからダメなんだとか、普通の家庭に生まれたから天才とは違うんだとか、あとで整理して諦めるために、過去の著作家が歴史上の偉人へ勝手に原体験を加えてきただけ。
ニュートンだって、りんごが落ちただけで万有引力を発見できたじゃないか。
だから、原体験が大事なのではなくて、何かを勝手に原体験だと発見できる視点が大事。
原体験をがないとか、僕の原体験って何だろうと考えている暇があったら、アイデアを考えた方が良い。一件でも多く営業をした方が良い。
みんな、自分探しの檻に閉じ込められている。
この動画を見て「原体験がないことを憂う必要はない」というメッセージとして僕は受け取りました。
これから先の活動が圧倒的な原体験になるよう、今を熱中することが道を拓くことであると。
自分に自信がない時に、人は比較を始めます。原体験の有無もその一つ。
出自や過去は変えられませんが、未来は自分で変えられる。活動に熱中している瞬間は気が付かないものなんでしょう。
でも振り返ってみれば、それが自分の原体験として積みあがっているのかもしれません。
コンプレックスを払拭することは簡単ではありませんが、ともに支え合いながら、一緒に今を楽しみましょう。