ロシア ハバロフスクで歌声喫茶
2005年 8月8日(月)~12日(金)
寺谷宏 岡田桃子 同行
●8月8日、総勢37名で新潟から出発し、12日午後全員元気に帰国しました。詳しい旅行記は、このページの下に掲載しました。
●音楽家ジバエードフさんが全日程同行。訪れる町々で、うたごえ交流します。
●ハバロフスクの郊外、ダーチャ(家庭菜園)を見学。家庭料理を楽しみながら交流します。
●一流の音楽家を迎え、ロシア民族アンサンブルを楽しみます。
スケジュール 宿泊地はすべてハバロフスク
日 時
都 市 摘 要
8/8(月)
新潟空港発
ハバロフスク着
空路 シベリアのハバロフスクへ
8/9(火) ハバロフスク
午前:ハバロフスク市内見学
日本人墓地、アムール河、ムラヴィヨフ・アムールスキー通り
夕刻:ハバロフスク歌声喫茶・交流会
「国立ハバロフスク美術館」2階ギャラリー
音楽家、ジバエードフ、バヤニスチ、ピアニスト
軽食・飲み物付き
8/10(水) ハバロフスク
終日:ハバロフスク郊外のダーチャ(家庭菜園)を見学し、現地の人と交流
家庭茶園の方々と交流します。
シャシリクつき昼食をお楽しみ下さい。
夕刻:ロシア民謡交流会
「ギャラリー・アルト・パドヴァリチク」
民族楽器アンサンブルとフォルクローレグループによる演奏 手作り夕食付き。
8/11(木) ハバロフスク
終日:自由行動
清楚な美しい街並みの散策などをお楽しみ下さい。
OP 少数民族ナナイ族の村=セカチ・アリアンへ終日小旅行(8時間、食事付き)
8/12(金)
ハバロフスク発
新潟空港着
出発まで自由行動
空路 直行便で帰国の途へ
利用航空会社:ダリアビア航空 宿泊ホテル:パルスホテル
ツアー報告
今回のツアーは、4泊5日と短期間のものでしたが、音楽とふれあいとに満ちた大変濃密なものでした。
「珍しいものを見た」「美味しい料理を食べた」ということにとどまらず、国境を越えて人と人を結びつける「歌の力」とは何なのか、人々の暮らしと音楽の結びつきとは、など「うたごえの原点」に触れるような感銘深い旅でした。
それはなにより「ともしびの友人」ウラジーミル=ジバエードフ・有川良子ご夫妻(*1)を中心とする良心的な人の輪が私たちをしっかりと受けとめて下さったことに大きく負っています。
改めてこの場を借りてご夫妻とご友人の方々に感謝申し上げます。そして、この交流がさらに拡がり、永く続くことを心より望んでおります。 旅行団事務局長 寺谷 宏(司会者・歌手)
*1 ウラジーミル・イリイチ・ジバエードフ
ロシア連邦功労芸術家。国立ハバロフスク交響楽団専属ソリスト(バリトン)・俳優。
公演旅行中のチェルノブイリ原発事故による被曝を乗り越え、ロシア国内にとどまらず、韓国・日本で精力的に音楽活動を展開。7年前の来店以来、ともしびの大ファンとなる。
「いづれ『ともしび』のようなみんなが自由に音楽を楽しむ店がハバロフスクに出せたら。」と夢を語る。
ロシアうたごえ交流の旅「ハバロフスクの夏休み」(8/8~8/12)旅行記
●8月8日 新潟空港より出発、ハバロフスク(*2)へ
・東京をはじめ、長野・福岡・大阪など全国各地より全員無事に新潟へ集合。参加者35名、ともしびから歌手・伴奏者計2名、主催旅行社「富士国際旅行社」より高野五郎氏の総勢38名。募集人員を超える大所帯であった。
・機は、瞬く間に日本海を越え、上空よりアムール川(*3)を見つけ、廻りの沼沢地を眺めている間に、ハバロフスク空港へ。約2時間のフライト。摂氏34度。極東ロシアの夏も暑かった。
入国手続きを済ませ、ロビーへ出ると「テラタニサーン」の懐かしい声。ジバエードフ氏が家族同伴で出迎えてくれていた。固い握手と抱擁。人なつこいその姿を見て参加者の皆さんの中に交流への期待が拡がっていく。
ホテル到着は現地時間で午後九時。「それでは皆さん、体に気をつけ、たっぷりと交流を楽しみましょう。」旅行団長小玉富美男さん(音楽文化集団ともしび団員)のあいさつ後、明日へ備え各々部屋へ。が、外はまだまだ明るい。明日は演奏会を控えていたのだが、ジバ氏の招待をよいことに、「ルースキ」というレストランへ。機内食では満たされない我が胃袋が恨めしい。ジャガ芋・トマト・キノコがめっぽう旨い。素っ気ない味付けがかえって良い。
*2 ハバロフスク
シベリアの玄関口に当たるロシア連邦極東管区の経済・行政の中心都市。人口60万。
110年前の北京条約により、清より「割譲」された、まだまだ若い都市。
朝鮮半島の平和的民主的統一を含め、人々の力で極東の和平が作られてゆくならば、今後大きな発展を遂げる可能性を秘める。革命直後、多くの帝国主義国家より侵略・干渉を受けたロシアだが、ここハバロフスクも一時日本軍により占領された。「アムール河の波」は、この際の祖国防衛の曲。
*3 アムール川
別名「黒竜江」。モンゴルにある源流からオホーツク海まで、総延長4350キロ。
ハバロフスクのある中流域は、中国との国境となっている。川幅は2キロを超えるところも。凍結時は、戦車も渡れる氷が表面を覆う。知床の流氷の多くはここから流れ出る。
●8/9 市内見学と演奏交流会
・午前5時 ホテルは極東の大河アムールを見下ろせる丘の上にあり、朝焼けのアムールをしばし楽しむ。眼福。広大な中州の向こうに中国が見えた。
・午前中は、バスで市内を見学。
アムールの眺めをたっぷりと楽しんだのち、レーニン広場(その名の付いた広場はロシア国内ではもう残っていない)、ロシア正教会を観る。
1991年のソ連邦崩壊より十年以上の歳月がたっているが、貧富の差は拡がり行くばかりとのこと。揺れ動く価値観の両端を観る思い。バレエ劇場、子供のための劇場、青年学生のための劇場など市民のための体育・文化施設が充実している。ジバ氏が長く務めていたミュージカルコメディ劇場前も通る。抑留中の三波春男氏が多くの元兵士とともにその壁を作った。
最後は、日本人抑留者の墓地へ。大きな碑はあるものの遺骨の納められているだろう墓は、まるでコンクリートの風呂桶を土に埋めたよう。名も没年月も一切記されていない。いまだに収集されていない遺骨が膨大とのこと。写真撮影は遠慮、スケッチをする。誰からともなく「ふるさと」のうたごえ。中国東北部から引き揚げ、愛児の消息について口をつぐんだまま他界した伯母の顔を思い出す。声が出ない。
・午後2時 ハバロフスク市民対外友好協会連合会を希望者の皆さんと表敬訪問。会員の学生の、たどたどしいが熱の伝わる言葉に、未来を感じる。24名で歌う「青い空は」をじっと聴いてくれる。憲法九条のロシア語訳パンフレットを手渡して、ホテルへ戻る。さあ、夜は演奏会だ。
・午後6時 国立極東美術館の二階を借り切り、ツアー一行38名・ロシア市民40名近くと演奏・うたごえ交流会。天井が高く音がよく響く会場。開演直前に長崎の原水爆禁止世界大会に参加していた小玉 亨君・永井康子さん(音楽文化集団ともしび専従団員)より、ロシアの「放射能被害者連合会」の代表と会いましたとのメッセージ届く。
まずは、日ロ双方のミニコンサートから。わらべ唄「かごめかごめ」をモチーフにした岡田桃子さんのピアノ演奏をかわきりに、間宮芳生の「南部牛方節」・広島県民謡「音戸の舟唄」。日本歌曲に武満 徹の曲。最後は図々しくもロシア歌曲、「黒い瞳」・「蚤の歌」。
演奏終了後、日本側参加者とロシア市民の方々より「とても楽しんだ。」との声を掛けていただく。歌手・演奏家など舞台関係者がほとんど。気持ちよく演奏でき、また、ともしびの音楽の一端を示せたことにひと安心。ショートプログラムだが演奏を入れてよかった。続くジバエードフ氏も、度々来日する気心の知れたブードニコフ氏(ピアノ)・コンドラーチェワ女史(チェロ)・ルーシニ
コフ氏(バラライカ)とともに、三度も衣装替えして大サービス。ロシア民謡はもちろんのこと、若い世代にと学校公演している国民的オペラ「ボリス・ゴドノフ」(*4)の名曲も披露。
心づくしの料理をいただいての小休止後、待ってましたの「大うたごえ交流会」。かねて用意のロシア語日本語併記の「国際歌集」60部が大活躍。両国入り乱れての伴奏と「ここはともしび新宿店か」と見まがうばかりの大合唱。
ステンカラージン・仕事の歌・バイカル湖のほとり・・・歌の大好きなともしび側参加者も圧倒されるほど、ロシア側参加者も大のり。日本語ロシア語併演の「小さいぐみの木」は圧巻。
歌の合間には、キャビア・ウォッカ片手に、あちらこちらで日ロ交流。小学生も二人いた。
さきほどの「ともしび青年部(?)」の長崎からのメッセージを伝え、「青い空は」の演奏。詩の内容を伝えたのち、一番をロシア語のアルファビート(*5)で歌唱指導、ロシア市民にも歌ってもらった。若者もいたので、母国の核武装について話しかけたかったが、喧噪の中叶わず。
「新潟からあっという間に着いた。こんなに近いところに異なる文化の人々の暮らしがあることに驚いた。しかし、皆さんと一緒に歌い心通い合わせたことがとてもうれしい。
この地域には、日ロはもちろん、中国・韓国・朝鮮と多くの国々が近接している。この地域にとどまらず、世界の平和に深く関わる会議(六カ国協議会)が開かれようとしている。相互理解に、『これで充分』ということはない。若い人たち、幼い人たちに胸を張って平和な世を手渡すためにも、私たち市民同士もっともっと分かり合うことが大切だ。」今思い出すと汗顔の至りだが、日本代表のような気になり、思わず司会にも力がこもっていた。
終了後、美しい日本語を使うご高齢の女性から花束をいただいた。柔らかな眼差しの方で、李さんとおっしゃる。戦中、日本軍の横暴から逃れるため故郷朝鮮を離れ、その後スターリンの政策で更に中央アジアへ追いやられ、命からがらハバロフスクまでやってきたが、いまだに帰国できないでいるとのこと。日本人どうし・日ロどうし、口々にうたごえ交流の感激を語り合いつつ、別れを惜しむ中、解散。
・午後11時半 例によって、胃袋の命ずるまま、ホテルでシャワーを浴びた後、一人抜けだし、真夜中のレストランへ。「ラストオーダーは終わった」と言っているようだったが、笑顔には笑顔、「パジャールスタ(どうぞ)」と粋な計らい。「スパシーバ(ありがとう)」
*4 「ボリス・ゴドノフ」
ムソルグスキーによる国民的オペラ。ロシア宮廷を中心とする権謀術数、権力者の異常なまでの猜疑心などをめぐって話は展開するが、真の主人公は、人民であるといわれている。ともしび新宿店でも、抄演していただいたことがある。
*5 アルファビート
英語のアルファベットに当たる。見慣れないキリル文字(ギリシア文字)が並ぶが、発音は法則的。意味はわからないが、ともかく声には出せた。
●8/10 ダーチャでの交流と民族アンサンブル
・早朝、広大な中州にあるダーチャ(家庭菜園)に向かう人々に混じって、定期船へ。一時間ほどの行程。我々の座った二階席には、80名近くの船客。弁当の朝食を終えたところで、「ももちゃん、はい。」と、アコーディオンを岡田桃子さんに渡す。「みんな歌ってくれるかなあ。」との彼女の心配をよそに、一曲目の「アムール河の波」を弾き始めるや、歌う、歌う。例の「国際歌集」がここでも活躍したが、「次は何歌うの。」「どこから来たの。」「これ歌いましょうよ。」アコーディオンのそばまで来て、一気にうち解ける。美しいアルトラインをつけて下さる女性もいた。旅行後のアンケートで、この「うたごえ交流」が一番心に残ったという方が多かった。
・氏のダーチャは、船着き場より歩いて20分。見渡す限りの薄の原には穂が出ていて、気配はすでに初秋。薄緑の野生のハーブと、金色の穂の広々とした野の一本道を進む。途中、「うちに寄ってけ。」と、元高見山関並の体格の男性に声を掛けられ、スイカとウォッカを御馳走になる。鶏小屋案内としばしの作物自慢。この点、拙宅のある埼玉県の市民農園と全く変わりなし。
遅れて到着すると、野生の梨(グルーシィ*6)の木陰で交流が始まっていた。芸術家が多く集まる地域で、ダンサー・バレリーナ・プロデューサーをはじめ、近所の方々が手作り料理を持ち寄っていた。キュウリのピクルスに、ふかしたジャガ芋が面白いように腹に入った。五人がかりで焼いていたシャシリク(肉の串焼き)も、好評。日本側参加者も、シャシリクの下ごしらえをしたり、畑に水をやったり大忙し。おなかがくちたところで、うたごえ。ロシアのダークダックス(?)にダンスも登場。デザートに、カリンカの実・野生のベリーのジャム。
かえりにも、「うちに寄って。」と、八才くらいの可愛い女の子に声を掛けられる。井戸水の美味しい家だった。「じゃあね。さよなら。」と途中まで送ってくれた。ロシア語で、「パカー!」
・午後7時 土産物屋も兼ねたギャラリー「パドヴァーリチク」の展示室を借り切り、民族アンサンブルを楽しむ。遅い到着を待つ間、うたごえ。そして、氏の被曝体験を語っていただく。
公演旅行から戻っての体調不良。二年間原因不明とされ、一年前にも手術したばかり。ついせんだってまで、担当部局の決める年間の公演計画で不利な扱いを受けるので、おもてだって被曝の事実を言えなかったとのこと。もちろん「出演者の健康管理」という理由からではない。政治的な理由からだ。ロシア政府は、事故発生一六年後の今年に入って漸く犠牲者の人数を公式に発表したのだ。
元気よく飛び込んできた民族アンサンブルは、若者中心に十数名の構成。色鮮やかな衣装と踊り、民族発声の女性コーラスが生き生きとしている。一緒に踊り、民族楽器を演奏する。
途中客席に入ってもらい、ともに食事。各テーブルで話が弾んでいた。「自分たちの伝統を大切にしたい。」との若い女性の発言に一同うなづく。海外公演の経験も豊富らしく、英語通じる。早速、うたごえ交流。国際歌集を用い、「青い空は」を歌ったら覚えてくれた。「手の歌」は手話付でともに歌った。「花(滝 廉太郎)」も好評で、もう一回歌ってくれと、コーラスリーダーの女性が採譜・暗譜していた。
さて、ここで真打ち登場。前日も好評だった「ステラデバリウス(廃材で作った一弦胡弓)」である。目黒区より参加のN氏の演奏。養護教員時代にこどもたちと使っていたほうきの柄に弦を張り、隣家よりもらった孟宗竹の弓。共鳴胴は屋台で飲んだビールのコップ。小さな音量を聞き漏らすまいと、一同じっと聴き入る。「私の国では、鳥は『ピース』と鳴く」の言で有名なパブロ・カザルスの愛してやまなかった「鳥の歌」。
ロシアの若者たちにも選曲の意味は充分に伝わっていた。音というより、演奏者の心を聴き取るような静謐な時間。演奏者と聴き手とが作る音楽の原点を見る思いだった。
・帰り道、目抜き通りに24時間営業のコンビニを見つける。キャンディーに魚の干物、黒パン、鮭の切り身に缶詰、漬け物、なんだか得体の知れない薫製。「いかにも」なものよりいいだろうと土産とする。
*6 グルーシィ
「カチューシャ」の一番の出だし「ラスツヴェターリ イヤーブロニ イ グルーシィ♪」のイヤーブロニが、りんご。グルーシィが梨。
●8/11 ナナイ族訪問
・午前9時 ナナイ族の村を訪ねる。数千年前からアムール流域を中心に暮らすツングース系の漁労の民で、バイカル湖に端を発し、日本人の起源の一つといわれている。
極東シベリアの大森林「タイガ」の中をバスで一時間半。林の中に300人が暮らす村があった。厳冬での格闘が容易に想像される質素な家並み。服装さえ違わなければ、日本人と区別がつかない。新宿を歩いていても不思議でない。村にある民族美術館で、東北のオシラサマ、朝鮮の夫婦神、道祖神との著しい類縁性が感じられる文物を見学し、昼食。その後、村のこどもたちが集まって、民族の歌と踊りを見せてくれた。
「彼らには仕事がなく、アル中が多いんです。」どこかしら違和感を覚えるガイドの脳天気な説明。それを寄せ付けないきっぱりとした迷いのない踊りであった。嫁入り前の娘をめぐる悲喜こもごも。悪霊退治の儀式。厳しい自然をあがめるかのような最強の神熊の踊り。数千年もの間厳しい自然の中を生き抜いてきた哲学・人の結びつきを感じたのは旅の昂揚ゆえか。踊りが終わると、あどけない20の笑顔があった。
最後にナナイより前に彼の地に住んでいた謎の民族の石の彫刻(一万年前から五千年前まで)を見た後、一路ホテルへ。
・明日は、はや新潟。ここぞとばかりに買い物やアムールでの水浴など各自、自由行動。皆、いたって元気。
・午後6時半 旅行社の粋な計らいで、近くのホテルのバンケットで打ち上げパーティ。ジバ氏とそのご家族、誠実な対応が好評だった二人のガイドも合流。
「国を超えてこんなに皆の心が一つになる『歌の力』ってなんだろう。私もそんな歌を歌えるようになりたい。」生まれて初めての海外旅行に単身参加のともしび合唱団員笹本澄子さんの肩を震わせての発言に、一同、心よりの拍手。音楽大学の卒論のテーマに歌声喫茶を選んでいるとのTさんも、「音程や音の長さ,発声にばかり気がいって、心に届く歌をもっと歌いたいと思った。だからこその歌声喫茶でした。その魅力がたっぷりと味わえました。」と発言。素敵なソプラノを聴かせてくれた。
口々にのぼったのは、他では出来ない手作りの交流の旅であったということ。あらためて夫妻と友人の方々に感謝。最後の夜だ。めいっぱい歌った。
お礼の意味を込めて、ジバ氏ご夫妻をレストランに招待すると、「そんなとこより、うちへおいで!」遠慮する手はない。「日本青年代表」で笹本さんと伺うことに。
・皆で料理を一緒に作りながら、いろんな話をした。若者の特権か笹本記者、率直。「有川さんは、どうして日本を離れたのですか。帰りたいと思わないんですか。仕事は何をされていたんですか。」「大気や水の化学分析の仕事をしていたんだけれど、ある企業の韓国進出のデータ作成で、このままだと日本以上に公害を引き起こすというレポートを出したら作り直せといわれたの。辞表を叩きつけて、その後、群馬県の安中公害訴訟の原告団事務局の仕事をして、さらに、新しい生き方を求めてロシアを旅していたら居着いちゃったのよ。」
ジバ氏もいろんな話をしてくれた。芸の話。人々の暮らしの話。「みんなが来る数日前に、ある州の知事が暗殺されたんだ。混乱の中、お金の集まるところ・権力の集中するところ隠然とした勢力を誇るマフィアに抗し、民衆の大きな支持の下、改革を進めようとしていた矢先のことなんだ。」「彼は、私の知らない間に、舞台芸術関係者の待遇改善のデモに演奏家としては唯一人参加してたのよ。大げさなことは一切いわず、当たり前のこととして。」うれしそうに話す有川さん。「あるホールの落成記念公演に彼が呼ばれ、先日寺谷さんも歌った『蚤の歌』(*7)を歌ったの。実は、建設資材に絡んで汚職があり、関わったと思われる官僚が数名来ていたんだけど、(権力を笑い飛ばす歌でしょ。)市民の万雷の拍手の中、彼らは身を縮めていた。次の機会には、『蚤の歌』は歌うなと圧力を掛けてきたのよ。」「蚤の歌」は生きている。生きている今の歌なんだ。「レーニン広場」・「カール・マルクス通り」の名が残っている云々ではなく、人を信じ連帯の心をもって変革の道を歩む。マフィアに負けない健全なるロシア市民の精神。誰がこの国の主人公なのか。私はこの国の奥底にある「革命の伝統」に少し触れた気がした。もっと知りたい。大きな収穫だった。
*7 蚤の歌
往年の名バス歌手シャリアーピンの愛唱歌。ゲーテの「ファウスト」をもとに、ムソルグスキーが歌劇に。ファウストが魂を売り渡したメフィストフェレスと旅をする中、居酒屋の場面で出てくる歌。蚤を愛玩する王と廷臣たちを嘲り歌う。
●8/12帰国
・午前11時 ホテル出発。すっかりなじみになったホテルスタッフに別れの挨拶。空港に行く途中、右手に日本人抑留者の碑のある市民墓地が見えた。有川さん・気のいいガイド・現地旅行社スタッフ。皆、見送りに来てくれた。ジバ氏は、家で預かっていたナナイの子供が中耳炎にかかり、一晩中看護。病院から間に合わなかった。10/23に東京で催される彼の「芸術生活30周年記念」コンサートでの客演(恋のさや当ての曲でお手伝いすることになった)まで、しばしの別れだ。
一同、心地よい五日間の疲れを感じながら一路新潟へ。さあ、戻ったら午後7時からともしび合唱団定期演奏会の通し稽古だ。「アムール河の波」をどんな気持ちで歌えるだろう。
*ツアー参加者の皆さん、本当にありがとうございました。歌を愛してやまない皆様のおかげで深い交流ができました。なによりも皆様とともに、一日々々、ともしびのうたごえを作っているからこそできたことです。
また、このツアーを応援して下さったともしびファンの皆様、ロシア市民へのおみやげを託して下さった皆様、ありがとうございました。「今日は40人だけど、たくさんの人が大事にしている『ともしび』っていう場所が日本にあるんですよ。一人一人が主人公で、いつもみんなでこんなふうに歌っているんですよ。」一番大切なメッセージを伝えることができました。