海外ツアー

ともしび・デンマーク/ドイツうたごえ交流の旅 2011年5月25日(水)~6月1日(水)8日間

投稿日:2011年6月1日 更新日:

寺谷 宏・中西民子と行く

ともしび・デンマーク/ドイツうたごえ交流の旅

2011年5月25日(水)~6月1日(水)8日間

寺谷宏 報告

今回の海外うたごえ交流の旅は、東日本大震災、いまだ終息しない原発事故という大変な事態の中での取り組みでした。職場から緊急医療支援チームを派遣するため参加を見合わせるという方、ご自宅の改修のため断念された方もいらっしゃいました。そんな皆さんからの「しっかり交流を」との言葉に励まされての旅でした。
実際、デンマーク・コペンハーゲンをはじめ、各地で素晴らしい出会いが待っていました。そのひとつうたごえ市民交流会「コペンハーゲンの夕べ」をご準備くださいました、お店のお客様でデンマーク留学中の鈴木優美(ゆうみ)様・交流団体で受け入れ実行委員会に参加下さった「政治的な歌の実験室」の皆様・「歌の友」の皆様・会場提供をして下さった「PH(ピーホー)カフェ」の皆様にこの場を借りて、御礼申し上げます。

一、5月25日 成田を出発し、一路デンマークへ(総勢17名)
11時間のフライトの始まり。あっという間に日本海を越え、シベリア・ハバロフスク上空へ。ともしびの友人・ハバロフスク在住のオペラ歌手ジバエードフ氏は元気だろうか。ご家族総出で2回のうたごえ交流の旅を受け入れてくれた。公演旅行中にチェルノブイリ原発事故で被曝した氏は、震災直後にともしびに電話をくれた。
ひと眠りすると、眼下に北極海。2000年のバルトうたごえツアーで通った路。自作の「百万本のバラ」のピアノ伴奏(歌は清水正美)をしてくださったラトヴィアの作曲家R・パウルス氏(同共和国大統領顧問)の眼差しを思い浮かべる。
ともしび海外うたごえ交流の旅は、店での出会いがきっかけになっている。ともしびの様々なつながりを思いつつ、彼の地で待っている方々との出会いに胸を膨らませる。

二、5月25日 コペンハーゲン到着。
地球の自転と逆回りの旅なので同じ25日に到着。不思議な感覚。
ホテルへと向かうバスの中で、今回のアコーディオン演奏者中西たみ子(ともしびアコーディオン合奏講座講師)が早速愛器を取り出す。海上にある風車(風力発電用)の列を見ながら「みかんの花咲く丘」を元気に歌う。「ともしび海外うたごえ交流の旅」初参加の彼女だが新宿の店と変わらぬ調子。人生の友アコーディオンが一緒だからか。
市街地へ入ると圧倒的な自転車の数。中にはベビーカー付きもあり、「自転車専用道」を疾走する。1985年に「原発を作らない」と国会決議をあげ、続く1988年には「原発は違法」とした国。国民全体で考え、行動していることに一同感嘆の声を上げる。
一行から離れ、翌日のアシテジ(*1)世界児童演劇祭観劇のチケットを受け取るために、ニューハウン街(アンデルセンが執筆活動をしていた「港が見える街並み」)を歩いていると、韓国アシテジのイ・ビョンホ氏と偶然会う。固い再会の握手。明日の観劇が楽しみだ。
夜10時半。宿の窓越しに黄昏時のような風景が拡がる。まもなく白夜の季節がやってくる。 

(*1) アシテジ(ASSITEJ 世界児童青少年演劇協会)…世界中の若者や子どもたちに、貧富や戦争・内乱を越えて最高の舞台芸術を、各国劇団の交流を通じてより良い創造をと創立されました。オペレッタ劇団ともしびも日本センターに所属。アジア各国の積極的な交流と発信も進みつつあります。一昨年私も同行した「日本メコン交流年記念ベトナム・ラオス・カンボジア公演」でもこのつながりが大きな役割を果たしました。

三、5月26日 旅の中で一番欲張りな一日。

1.朝 童話作家アンデルセンの故郷フュン島の町オーデンセへ。
気取らない庶民の町だった。貧しい暮らしの中で、歌手やバレエダンサーになることを夢見る若者だったアンデルセン。彼の耳に毎日届いていた鐘の音を鳴らす教会裏の広場でうたごえを。そのわきには、母親たちが毎朝集まっていた小川の洗濯場も再現してあった。世界中の人たちを虜にする「はだかの王様」「マッチ売りの少女」…などの童話。それらの根にある「市井の眼」。デンマークの人たちはアンデルセンのどこを誇りに思うのかが伝わってくる。
中学生たちが陽気に声を掛けてくる。「中国?韓国?」「日本からだよ。」

2.昼 アシテジ世界児童演劇祭に参加。 ドイツとノルウェイの作品に分かれ、観劇。市内いたるところに劇場がある。ゆとりがあれば、もっと作品を見たい思いに駆られる。
ホールを出ると、なんとそこにスウェーデンアシテジのH・バーント氏が。年に一度の来日の度にともしびの店に必ず立ち寄る友人でともしびファン。いくつかの日本の劇団と協同で作品を作っている。日本の子どもたちに自分は何を届けるか。熱心なメールを度々もらっていた。

3.夜 PH(ピーホー)カフェにて「コペンハーゲンの夕べ」
会場は詩の朗読やコンサートなど市民の文化発信の場所として名高いカフェ。「歌の友」(*1)のキムさんが出迎えてくれた。やがて「政治的な歌の実験室」(*2)の代表にして「世界反核音楽家フォーラムデンマーク支部長」の歌手ペアさんもやってきた。開場前に、(是非会場全体で歌いたいと提案を受けていた)「勇気の歌」を事前に演奏してみた。スウェーデンから始まった同会のテーマソングで今では11ヶ国語に訳されている。11番目の日本語詞を冷や汗もので日本から送っておいた。ペア氏はギターを手にした。奏者の呼吸が伝わるし、こちらの歌の呼吸を読み込んでくれる懐の深いギターだった。自分の英語の拙さも気にならなくなる。説明のための言葉はさほどいらない。音響機材もいつのまにか最良の状態でセッティング終了。音楽はいい。
鈴木優美さんが仕事を終えて駆けつけて下さる。1月にともしびの店でお会いして以来だ。社会教育学の研鑽のためロスキレ大学に留学。多忙な研究活動の中、「うたごえの好きな人に悪い人はいませんよ」のひとことで、一切の準備を快く引き受けて下さり、この度の交流団体やお知り合いの近藤千穂さん(通訳)を組織していただいた。挨拶そこそこに市民の皆さんが続々とやってくる。日本とデンマークが混じり合うよう席の塩梅をしていると、さらに日本人グループ17名も合流。郵政産業労働組合(郵産労)のみなさんで、非正規雇用是正のための活動報告をILO(国際労働機関)で行なった後だった。日航労組の方々も一緒だったとのこと。一行の中になんとともしびの歌集を持っていらっしゃる方が!会場は約90名のほぼ満席となった。
会が始まる。「勇気の歌」を皆で歌った後に、是非聞いてほしいとペア氏が自作の「死んだ女の子」を演奏。トルコの詩人N・ヒクメットの詩で、母国ではその詩集が当初検閲処分を受けて出版されなかった。事前資料でともしび歌集を届けていたところ、氏が目次の中からこの曲を見つけ出し、ともしび一行との交流を決めるきっかけになった曲だ。彼の曲は言葉の流れを大切にしており、途中で拍子の変わる(変拍子)の朗々とした歌だった。ともしび一行も、岩手・広島の民謡や「上を向いて歩こう」、「青い空は」で返礼。手話を交える「手の歌」では、通訳の近藤さんも大奮闘。会場が沸き立った。
「歌の友」からは、創始者である92才の元弁護士の方が、戦争中スウェーデンへ亡命したユダヤ人の友が作った詩だと一曲披露してくれた。人生の最後に何を思うかという粋な歌だった。
デンマーク人は歌の好きな国民で、国会の開始にあたって議員も傍聴席もまず歌を歌うとのこと。それも「国歌」ではなく、誰もが良く知っている唱歌というのが面白い。「歌の友」は、互いの歌を聞きあうことが多く、「こんなにたくさんの歌を会場全体で歌ったことに感激した。初めての人も一緒に歌える歌よ」とグリーンランドの民謡を披露して下さった女性もいた。開放的な歌だった。
飛び入りの歌も入りながら、やがて会は終了。持って行ったお土産(郵産労の皆さんは「憲法9条」のカンバッジを持参されていた)を交換、それぞれのテーブルで「歌のともだち」ができ、それぞれにたっぷりと別れのあいさつをした。

(*1) 「歌の友」 スウェーデン発祥のグループで、全国33支部・4500名の会員を擁す歌を楽しむグループ。
(*2) 「政治的な歌の実験室」 同じくスウェーデン発祥のグループで、「社会をよりよく変革し、人間の解放を進める」立場から歌を作り、広めていくことを目的としている。「世界反核音楽家フォーラム」にも属している。同フォーラムの原資は、ハリー・ベラフォンテが提供した。フィリピンの児童労働、インドの女性労働をはじめ、各地で声をあげている人々の交流の機会を提供する幅広い活動を行っている。

四、5月27日 コペンハーゲン市内を見た後、ドイツへ
1.午前中は市内観光。もちろん「見るだけ」ではない。人魚姫の像の前でうたごえを。そばに咲いていた野バラに因んで、ウェルナーの「のばら」を歌っていると、居合わせた日本人観光客の方が眼を輝かせていた。話してみると下呂温泉での「ともしび出前うたごえ喫茶」をご存じだった。バスへ戻る際、デンマークの童謡「いとまきまき」を演奏すると、学校バスの中から小学生たちの歓声と可愛い拍手が聞こえた。その後立ち寄った王宮アマリエンボー宮殿広場では、仙台の方がいた。仙台バラライカの連絡先を早速伝えた。
最後に立ち寄ったのが、レジスタンス博物館。館の前の噴水広場にいた中国からの観光客のそばで「草原情歌」を歌う。「おや?」とこちらを見る。続けて、中国では映画音楽として有名なイタリアの「さらば恋人よ」を歌うと年輩の方が大きく手を振ってくれた。
博物館の中では、ナチス・ドイツ占領期の市民の組織的・個人的抵抗活動の数々が刻まれていた。EU(欧州連合)という仕組みをよりふかめているヨーロッパでは、侵略した国・された国・受け入れた勢力・抵抗した人々それぞれの歴史に目をつぶっていては統合が進まないとのガイドの言葉。
展示室に入ってすぐ目の前にあったのが、配給されるパンで作った粘土細工風の薔薇の花。収容されていた女性が、同じく収容されていたイギリス兵に贈ったものとの解説と恋文が添えられていた。奥の方には絞首台に連れて行かれる若い女性の写真もあった。そんな日々の中での恋。

2.午後空路ハンブルグへ
ハンブルグ市内でも大きな風車に出会った。ブレーメンに向かう道でも実に十か所以上の風力発電群を見た。今夜は、ブレーメンの森の中のホテルに泊まる。窓辺にしゃくなげが咲き、前の広場に大きな菩提樹が茂っていた。

五、5月28日 ブレーメン
1.旅行団長松田さんのリードでラジオ体操。旅の最後まで続いた好評企画となった。しばらくすると、参加者の方の姪御さんでブレーメン音楽大学を卒業後、オーボエ奏者として活躍中の松田素子さんがホテルで合流。18名となった一行は、早速ブレーメン市庁舎前でうたごえを。遠巻きに見ていた人たちが笑顔で集まってくる。いつのまにか一緒に歌っている。「別れ」、「ローレライ」…ドイツの歌が続く。ドイツ人のご婦人から「皆さんの歌の旅の成功を祈っています」ととても丁寧なあいさつをいただいた。

2.昼近くに、松田さんの夫で演奏家のマークさん、松田さんの故郷鳥取から震災チャリティー公演で来独中の作曲家の上萬(じょうまん)雅洋さんも合流。一行は20名となり、路上でレストランが開くのを待っていると、この旅で一番忘れられない光景に出合った。
中学生(高校生だったかもしれない)4人のグループがなにやら明るいけど恥ずかしそうな声を上げながら私たちの前を通り過ぎていく。ほんの30秒くらいのことだった。通り過ぎてから気づいたが、彼らは黄色い旗を持っていた。それは”ATOM KRAFT? NEIN!DANKE!”(原発?いいえ!結構です!)の旗だった。数日前のブレーメン州議会選挙で「原発即時廃止」を訴える政党が大きく支持を得、この日はドイツ各地で「脱原発」の大きな集会が開かれていた。その後のドイツの決断(2020年までの全面廃止)はご存知の通り。伺うと集会の日だからということでもなく、休日のごく自然な風景とのこと。「自分たちも社会を作るんだ。社会の役に立ちたい」10代のまっすぐでまぶしい心意気をその後ろ姿から感じ取った。小さい子どもを連れた若い父親も旗を持ってゆったりと歩いていた。その後、旅の途中で稼働中の原発を一基見た。一筋縄ではいかないこともあるのだろうが、粘り強く「国民の意見」としてこの結論を導き出したのだ。

3.日本での再会を約束し、松田さんたちに別れを告げると、一路ハーメルンへ。北ドイツの要路ヴェーダー河沿いに走るバスの中で、麦畑を眺めながら歌った。
到着した宿で聞こえる鳥の声。ナイチンゲールらしい

六、5月29日 ハーメルン
1.朝、カモメの声で目を覚ます。ハーメルンは河川貿易の要衝で港町になる。歩いて数分の中心街は中世の街並みを再現・保存していた。
街の中心にある教会の塔の前で歌っていると、近くでガイドの説明を聞いていた20人くらいのグループがこちらを見ている。姿勢をただし、わたしたちの歌をじっと聞いている。国内旅行中のドイツ人だった。互いにあいさつをし、2曲目に「のばら」を歌い始めると、教会の鐘が鳴り始めた。あまりの大きな音で歌を中断。笑顔で別れる。後で時計を見たら10分間鳴り続けていた。その後を続けるように隣の教会の鐘が5分間。教会が人々の暮らしの真ん中にあった時代の雰囲気を残す街だった。

2.ご存知「ハーメルンの笛吹き男」で有名な街で、「音楽禁制通り」というものがあった。富士国際旅行社のベテラン添乗員広田さんが熱く解説してくれた。この伝説の起源については、「ペストの流行を伝えている」などいくつかの説があるが、いちばんしっくりくるのが「教皇と貴族の間で、戦争に動員され、翻弄された庶民の当時未開だった東部ドイツへの集団逃走」とのこと。昼にハーメルン市民(大人と子どものボランティア)による「笛吹き男」の野外劇を見たのだが、子どもの顔もきりりとした誇り高い劇だった。

3.午後は、ヴェーダー河の遊覧船に乗る。菩提樹の葉先が風にささやいているのが聞こえた。シューベルトの歌曲の一節を思い出す。
船を降りたところで、待ってましたとばかりにうたごえ。二人ほど女性がじっとこちらを見ている。口元が動いている。声を掛けてみた。「どちらから?」「デンマークからよ」
お二人の旅仲間が乗りかけていた大型観光バスから続々と降りてくる。フォスターの曲やドイツの曲、デンマークの「いとまきまき」と続ける。気が付くと50人の輪になっていた。先方のガイドと運転手がこちらを見ている。苦笑いしているようだ。
「何かリクエストは?」と聞くと、すかさず「勝利を我らに」の返答。50人で手をつないで歌った。言葉でいえば、片言にも満たないやりとりだったが、それ以上のものが通い合った。大きなクラクションを鳴らし、バスは出て行った。

4.夕食前に一人散策。たんぽぽが自宅そばの道端と同じように咲いていたので写真を撮る。そこに犬を連れた老人が声を掛けてくるが、意味は分からない。「たんぽぽという花だよ。そんなものが珍しいのかい。どっから来たんだ?」そんなことでも言っていたのだろうか。「日本から。たんぽぽと呼んでます」と勝手に返事。互いにほほえみを交わし別れる。犬がしっぽを振っていた。言葉は通じなかったが、飼い主も上機嫌だったのだろう。

5.夕食をとったレストランで歌っていると、隣の部屋から拍手。気を良くして、皆で訪れるとドイツ人の観光客だった。歌好きのグループのようで、その緑色の歌集(ともしび歌集「歌の世界」)を見せてくれないかと30分くらい眺めていた。自分たちの部屋に戻り食事とうたごえを楽しんでいると、隣室からハーモニカの音が。14、5人ほどのグループ全員が今度は私たちの部屋を訪問。さっきの歌のお礼だと歌い始めると、なんと「菩提樹」の混声4部のコーラス。別れ際に「たくさんのドイツ人が、東北の大人と子どもたちに心を寄せていることを知ってほしい」と女性の方から言われた。

七、5月30日 ハンブルグへ
「エリカ街道」を北上し、中世の古都ツェレへ。その郊外にあるのが、「ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡」エリカ(英名ヒース)の茂る広大な土地のあちらこちらに1メートルほどの高さの土盛りがあった。そのひとつひとつに、850、1000、2500などの数が石板で刻まれている。そこに埋められていた人々の数とのこと。慄然とする。
その間に、かろうじて消息のわかった人たちの墓碑があった。その一人アンネ・フランクはオランダの隠れ家から連行され、悪名高いアウシュビッツ強制収容所を経て、この地に移送された。そして、収容所解放直前の1945年3月に腸チフスで短い生涯を終えた。同じ年同じ月に、東京で、岩手で、空襲にあった方々が一行の中に3人いらっしゃった。アンネ・フランクとほぼ同年代。その中のお一人が、広い収容所跡を歩きながら語りかけて下さった。「戦争が終わった8月の空は今日みたいにほんとに青くて、悲しかったのよ。大好きだった父を奪った戦争。私は、戦争をなくすためだったらなんでもします」
たくさんの中学生・高校生のグループとすれ違った。遠い過去のこととするか、未来を語る上で忘れてはならないこととするか。ヨーロッパ人の大人や子どもたちに混ざって、私たちも献花をした。

本誌再録になりますが、アンネ15歳の中断直前の日記にこんな言葉があります。
「自分でも不思議なのは私がいまだ理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だって、どれもあまりに現実離れしすぎていて到底実現しそうもない理想ですから。にもかかわらず私はそれを持ち続けています。なぜなら今でも信じているからです。たとえ嫌なことばかりだとしても人間の本性はやっぱり善なのだということを」(「アンネの日記」深町眞理子訳 文春文庫より)

この後、ハンブルグに入ると、エルベ川のほとりに行って平和の歌「エルベ川」を歌いました。17名はひとつの合唱団のようでした。旅の打ち上げ交流ののち、翌日全員無事に帰途に就きました。
今回は「盛りだくさんの旅」でその一つ一つの出会いのために旅行企画が立てられるほどでした。それらの出会いをしっかり受け止めながら、無事に全員帰って来られたのも参加者の皆さんの結びつきがあったからです。「ともしび海外うたごえ交流の旅」ファンの方々、「ともしび冬のページェント」(スキーと温泉のうたごえツアー)ファンの方々、ともしび音楽講座講座生、出前うたごえ喫茶でお会いした方々、この旅をきっかけにともしびを知って下さった方々、皆さんありがとうございました。
ふたつの国で生まれたつながりを大切に育てていきたいと思います。
 初めての海外ツアーどきどきしながら、成田空港に着くと知った顔も。ほっとするとともにわくわくして出発を迎えました。まる11時間をへて到着するとまずは景観にびっくり、落ち着いたたたづまいでなんでこんなに美しく見えるのだろう、とよくよく見回すとまず広告がありません、自動販売機のたぐいも。建物は昔からの家を大事にしていて少しゆがみがあってもそれを大事に補修していました。現地のガイドさんの話を聞いているうちに、その国の方々がいかに国を誇りに思っているのがよくわかりました。特にドイツでは原発を廃止することが決まったと、誇らしげに語っていられました。そしてどちらの国もたくんの風力発電が。もちろん東日本の大震災があり見直しもなされたのでしょうが、再生産を基本に据えているのだとあらためて感じました。
そしてこの旅で大事なこと、音楽でのふれあいが大きな目的でした。色々なところで歌を歌っているとかならずまわりに人々が集まってきました。その中でもコペンハーゲンでの交流、これは寺谷さんからくわしく話が出ると思うので私からはハーメルンの川のほとりでのうたごえについて書きたいと思います。野外劇をみたりしたあと舟に乗りました。のんびり豊かな気分になり遊覧船からおりました。忘れ物をとりに行く人もいて少し時間ができ、歌をうたいだしたところ観光バスに乗りかけた方々が寄ってきて拍手する人歌いだす人、そのうちにバスに乗る方々がほとんど集まり大合唱。もうバスが出る時間とのことで最後にリクエストはと聞くとなんと勝利をわれらにをと?みんなで輪になり手を組んで歌いました。平和への想いは同じと実感しました。語り尽くせぬ素晴らしい旅。ぜひ皆さんもともしびのツアーに参加してみませんか?

今回の旅行は、震災と原発の世相不安の中で、欧州(デンマーク・ドイツ)を訪れ、各国の方々と交流しました。そこでは皆さん、日本のことを心配し、各町の雰囲気も反核・反原発の空気と、両国とも風力発電のプロペラが各地で見られ印象的でした。
ともしびのグループは各地でうたごえを響かせ、歓迎され、歌の持つ引き合う力が共通語として融和したのです。
皆さんのうたごえが力となっていました。

 2011年5月25日、7時間の時差を経て、憧れていた北欧の玄関口、コペンバーゲン・カストラップ空港に到着。世界一美しい空港と聞いていたが、吹き抜けのある高い天井や、ガラス張りの窓から入る光がとても気持ちいい。空港内の床は落ち着いた色調の板張りのためとても足に優しかった。11時間25分のフライトで疲れているのも忘れて何だかウキウキしてきた。さい先のいいスタートだった。
翌日からは特急電車で行ったアンデルセンの故郷・オーデンセや、グリム童話で知られているブレーメンの音楽隊の街、ハーメルンの笛吹き男の街など、童話や民話のふるさとは、どこもこじんまりとしていて、石畳の道とヨーロッパ特有の建物が並ぶ街並み、頭の上にかぶさるような電線のない広い空、長い伝統に培われたヨーロッパの雰囲気を歩いて楽しむことが出来た。
あちこちで楽しんだ路上うたごえ喫茶では足を止めて、たみちゃんのアコーデオンに合わせて「野ばら」を口ずさんでいたり、「糸まきまき」(デンマークの歌なのだそうです)を一緒に歌って喜ぶ観光客、リクエストに応じた「勝利を我らに!」ではみんなで大きな輪をつくって歌い、「歌に国境はない」ことを実感した。
国際児童演劇フェスティバルで観たリトアニアの児童劇「OPEN CIRCLE」では、
言葉は全然わからなかったが、たまに出てくる知っている英単語と、アクターたちの真剣な演技から内容を勝手に想像することが出来てとても楽しかった。子どもに伝えたい思いはどこの国でも一緒なんだと、ここでも国境はないことを実感。
旅の最後はベルゲン・ベルゼン強制収容所、アンネ・フランクがオランダのアムステルダムで隠れていたことは「アンネの日記」で知っていたが、その隠れ家からベステルボルグ収容所→アウシュビッツ収容所を経てベルゲン・ベルゼンに送られ、1945年3月に腸チフスで亡くなったことをこの旅で初めて知った。
広大な敷地の中に亡くなった人たちを埋めた沢山の丘があり、その中にアンネ・フランクの墓碑があった。墓碑には1929→1945と記されており、8月まで生きていられれば解放されたのにと口惜しい思いで胸が痛んだ。こんなむごいことはこの先地球上のどこにも起きてほしくない、という思いを込めて献花し「ふるさと」を歌った。
最後にこの旅で一番印象に残ったのは原子力発電所のことでした。アストラップ空港からホテルに向かう途中真っ先に見えたのが何基も並んだ風力発電の風車だった。
デンマークは「原発を避け、エネルギー消費を減らしながら国民の生活を豊かにする」という国策に向けて英知を集め、脱原発を実現した国と聞いています。確かにホテルなどの照明も抑えてあって、はじめは暗いなと思ったのですが、慣れてくるとちっとも不自由はなく、街には自動販売機が一台もなくてあわてたこともあったけれど、買う場所はいくらでもあるわけだし、今まで必要以上の明るさや便利さに慣れ切っていたのだと思った。ドイツでは5月6日に「脱原発」を2022年までにと閣議決定した。そしてまたイタリアでも国民投票の結果90%の支持を集めて「脱原発」の実現に向かうという。
行く先々で「ガンバレ東北」のチャリティコンサートや「原発反対」のデモ行進などに出合い、日本の原発事故の影響の大きさを感じた。広島・長崎の原爆と変わらない危険な原発はやめてほしい。命を脅かすような危険な世の中を負の遺産として子どもたちに残すことはしたくないと切実に思う。
体調不安の中、恐る恐る参加した旅でしたが、たくさん学んで楽しんで元気になって帰ってきました。寺谷さん・たみこさん・広田さん有難う!そして晴れ男の団長さん、ストレッチが良かったですよ、みなさんお世話になりました。有難うございました。

-海外ツアー

Copyright© ともしびグループ , 2019 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.